日本生物地理学会は,1928年(昭和 3年)に蜂須賀正氏が,同じく鳥類学者であった山階芳麿,黒田 長禮,黒田長久,鷹司信輔,松平頼孝らの助力を得て,当時の生物地理学の第一人者であった渡瀬庄三 郎と共に創設した.渡瀬庄三郎は,トカラ列島の悪石島と宝島の間に設けられた区系生物地理学におけ る旧北区と東洋区の分割を示す”渡瀬線”によって著名である.また,ハブや野鼠の駆除のためにジャ ワマングースをインドから沖縄へ移入し,ウシガエルを実験用として輸入した.昨今の移入種問題と相 俟ってそれらの功罪についてさまざまの議論がなされる.現時点でその地に生活する人に困窮を与えて いるとすれば,我々もそれらの行為について深く考え,今後の行動の礎ととする必要があるが,その地 に住む人々の生活の向上ため生物学を活かそうとしたポジティブな精神の持ち主であったことは疑いが ない.
蜂須賀正氏は,渡瀬庄三郎ほどには知られていない.彼は,阿波蜂須賀第18代当主として生を受けた 一方,生物に深い関心をもち,鳥類学者として世界を舞台とする活躍をした.また,彼は型破りの人で もあった.彼のひととなりを表す様々のエピソードが伝えられる(筑波,2003)が,蜂須賀正氏を人間 としてどう考えればよいのだろうか.私が子供の頃は,緑豊かな環境と輝ける未来があった.現代に, 未来を輝かしく感じる若者がどの位いるだろうか.人類は良いことも悪いことも,その規模と未来に与 える影響において,かって経験したことのない大きさをもつ時代を迎える.蜂須賀正氏は,伝統に沿わ ない型破りの人と評されたが,彼の行為は恣意ではなく彼の哲学に起因し,それに従って独自の判断を した結果であることが多い.蜂須賀正氏が,我々に残したものは,マニュアルのない,未曾有の時代へ 対処し,希望のもてる未来を次世代に贈るためのツール,言葉を代えれば”人間の成長”を促すための 有力なツールのひとつを示したと考える(森中,2003).
1999年に創刊された”Biogeography”の巻頭に,「学会の発足初期の頃は,生物学と言えば分類学と せいぜい生物地理学しかなかったが,豊かな自然に裏付けられた輝かしい未来が,我々の前に横たわっ ていた.今は,どうか.豊かな緑は廃棄物に置き換わり,化石燃料と木材の消費による炭酸ガスの増加 は,今や我々の生存すら脅かすようになった.中略.この新しい雑誌は,単に分類学と生物地理学だけ を扱うのではなく,人間と自然の関係において,我々の子孫の幸福を,現在の利益より優先させる視点 で自然を考える読者をencourageする論文を掲載する雑誌となるよう希望する.」(Sakai, 1999)と記 されている.
日本生物地理学会は,生物地理学的研究への貢献が第一義である.しかしながら,昨今における生物 学の著しい発展と分化,融合に伴い,現代では明確な領域区分が困難になりつつある.また,社会に対 する生物学のもつ意味は変わってきており,人類社会への貢献を目的として生物学に係わる幅広い課題 を扱っていきたい.
引用文献
森中定治 2003. 蜂須賀正氏生誕百年記念シンポジウムを終えて.日本生物地理学会会報,58: 115-119.
Sakai, Seiroku 1999. Preface. Biogeography, 1: 1.
筑波常治 2003. 国際的業績と非常識の間.日本生物地理学会会報,58: 105-107.